羽子板とは

だれもがまず頭に思い浮かぶのは「羽根つき」でしょう

「羽子板」と聞いて、だれもがまず頭に思い浮かぶのは「羽根つき」でしょう。室町時代にはこの羽根つきを「胡鬼」(こき)の子勝負」といい、正月の年占いとして、末広がりの形をした胡鬼板(羽子板)で胡鬼の子(羽根)をつき、その年の平安を祈願したといわれます。江戸時代には、胡鬼板(羽子板)に金箔を施した上に、宮中の左義長の儀式の風景を描いた「左義長羽子板」というものが、厄除けとして、貴族への贈り物に用いられました。「左義長」とは、正月の十五日に宮中で行われた魔除けの儀式で、今日、民間では「どんと焼き」などといわれ、注連縄(しめなわ)や門松などをお焚き上げし、その火で焼いた餅を食べて邪気を払う行事として各地で行われています。やがて、その羽子板に美人画などが描かれるようになり、江戸後期からは、押し絵の技法を取り入れて現代の形になりなした。