端午 〜菖蒲の節句と五月人形〜

植物の菖蒲(しょうぶ)を活用して、季節の変わり目を健康に過ごすための節句が、武家の時代を経て、男子の成長を祝う節句になりました。

薬草の力で、健康を保つ菖蒲の節句

現代では「こどもの日」として祝われる5月5日。この日はもともと五節句の端 午の節句にあたります。端午の端は「はじめ」という意味で、「端午(たんご)」は5月最初の午(うま)の日のことでした。それが、 午(ご)という文字の音が五に通じることなどから、奈良時代以降、5月5日が端午の節句として定着していきました。

端午の節句は、その時期に盛りを迎える菖蒲を様々な形でふんだんに用いることから、菖蒲の節句とも呼ばれています。菖蒲には、古来から健康を保ち、邪気を祓(はら)う力があると信じられていました。菖蒲はいわゆるハーブのように、その葉から出る強い香りが活用されたのです。菖蒲湯に入浴し、菖蒲酒を飲み、菖蒲枕に眠るなど、端午の節句は、まさに菖蒲づくしの一日でした。また、こうした薬効の活用だけでなく、家の軒に菖蒲を飾って邪気を祓うという風習も 古くから行われました。

5月は、春から夏への季節の変わり目にあたり、疲れが出たり病気になりやすい頃です。また、田植えという、稲作の最大の要となる行事が行われれるため、 これにそなえて十分な鋭気を養っておく必要がありました。端午の節句には、そんな時期を上手に乗り切る知恵が盛り込まれているのです。

言葉の響きが産み出した、男の子の節句

江戸時代に入り、勢力の中心が貴族から武家に移るとともに、「菖蒲(しょうぶ)」の音が、武を重んじる「尚武(しょうぶ)」と同じであることから、「端午の節句」は、「尚武(しょうぶ)」の節句として、武家の間で盛んに祝われるようになりました。この節句は、家の後継ぎとして生れた男の子が、無事成長していくことを祈り、一族の繁栄を願う重要な行事となったのです。3月3日のひな祭りが、女の子のための節句として花開いていくのに呼応するように、5月5日の端午の節句は、男の子のための節句として定着していきました。

粽(ちまき)とかしわ餅

端午の節句のお菓子として一般的なものに、粽(ちまき)と柏餅(かしわもち)があります。関西地方では、初節句は主に粽で祝い、二年目以降は柏餅で祝うという風習もあります。粽は、モチ米やウルチ米の粉を笹の葉などで包み、藺草(いぐさ)で固く縛り、蒸して作ったものが多いのですが、京都などでは、葛粉(くずこ)に小豆の汁を加えた羊羹粽(ようかんちまき)も作られています。また笹の葉で密封することには、雑菌の繁殖を防ぐ効用もあります。かしわ餅は、ウルチ米の粉をよく練ってついたもので餡を包み、二つ折りにした柏の葉でくるんで蒸したものです。関東では、粽よりも柏餅が多く用いられます。

端午の飾り物

端午の飾り物は、戸外飾りと室内飾りに分かれます。現在、戸外飾りの代表は鯉のぼり(こいのぼり)です。また、室内飾りには甲冑、兜、五月人形、座敷幟(ざしきのぼり)などがあります。

勇壮で華やかな五月飾りは武家社会の江戸に始まり、しだいに各地に広まって、今日のような日本の初夏の大切な行事になりました。

戸外飾りと室内飾り

五月に入るとあちこちの家の空に、鯉のぼりが泳ぐ姿を見かけるようになります。端午の節句の飾りには、幟旗(のぼりばた)や鯉のぼりのような戸外飾りと、甲冑や五月人形、座敷幟(ざしきのぼり)のような室内飾りの2種類があります。その両方を飾る家もあれば、どちらか一方を飾る家もあり、また飾り方にもそれぞれの地方の特色が見られます。関西方面の室内飾りでは、陣屋提灯を必ず飾り、名古屋を中心とした地域では、鎧兜の代わりに鎧姿の子供大将を中心に置くことが多いようです。また関東でよく飾られる鍾馗(しょうき)の人形は関西方面ではあまり見られません。

室内飾り

端午の節句飾りは、最初大きな幟旗や武具を戸外に飾る外飾りでしたが、やがて江戸中期以降はミニュチュア化され、室内での飾りが盛んになっていきました。室内飾りは、甲冑、兜、鎧姿の大将人形のいずれか一点を中心に置き、人形や道具類をあしらって飾ります。  現在、一緒に飾る五月人形には、金太郎、桃太郎、神武天皇、鍾馗(しょうき)、歌舞伎風の衣裳をつけた子供の人形、飾り馬などがあり、関西では張り子の虎も飾り添えます。

 甲冑や人形などの後ろには、座敷幟(ざしきのぼり)や屏風、陣幕(じんまく)を立てます。屏風には、昔は矢屏風(やびょうぶ)が多く用いられていましたが、最近では金屏風や塗り屏風もたくさん用いられています。
 その他に、弓・太刀、軍扇(ぐんせん)、陣笠(じんがさ)、陣太鼓(じんだいこ)などの陣道具、かがり火、短檠(たんけい)、陣屋提灯などの灯火具を飾ります。また供え物として菖蒲の口花を飾った瓶子(へいし)、飾粽(かざりちまき)や柏餅などを三方にのせて飾ります。左右には小型の鯉吹流しなどを枠に立て飾ります。

江戸っ子の心意気から生まれた/鯉のぼり

鯉のぼりは五月を代表する外飾りのひとつですが、もともとは「まねき」とよばれる幟旗(のぼりばた)の小さな付属品だったものが、だんだん大きく作られるようになったものです。江戸時代、端午の節句が近づくと、武家では屋敷の玄関前に家紋の入った幟(のぼり)や、馬印、吹流しなどを飾って先祖の武勲を称え、わが子の出世成長を祈ることが習わしとなっていました。

それを見た江戸の町人たちは、自分たちも盛大に節句を祝おうと思いましたが、武家のまねをすることはできません。そこで彼らが自分たちならではの飾りを作ろうとして、考えだされたのが鯉のぼりでした。
中国の伝説では、鯉は黄河上流の竜門の滝を昇り切れば、竜になって昇天するといわれています。また、鯉は生命力が強いだけでなく、俎(まないた)の上でビクともしないことから潔い魚と考えられていました。そんなことから、男の子の立身出世を表わすには最もふさわしい魚と考えられ、その形が屋外用の飾りとして取り入れられたのでしょう。
 まるでおとぎ話のように悠々と五月の空を泳ぐ鯉の姿は、子どもたちにもたいへん喜ばれ、江戸で生れた鯉のぼりはたちまち全国に広がりました。こうして、端午の節句には各所に鯉のぼりが林立するようになったのです。